昭和51年12月26日 特別奉修委員



 昨日はちょうど研修会の時間に私は、不在を使うてからご無礼しましたけれども、神様にお知らせを頂いた事があってから、久留米に参りました。実は椛目が今度あの初羽子板ですかお正月の。ですからあの羽子板を買いに行ったんです。前の子の時には大きなのを家内が買いに行っとります。こげなもんば買うて来てからち言うて、とにかく人形が死んでるですね。昨日私岩田屋にあの二軒ありますから、ずうっと下げておりますけど、一つも生きた人形がないです。
 それで私がこうこうして注文つけたら出して参りました。こげな良かつのあるとに、どうしてあの出さんのかと言ったら、こげんとは出しても買い手がない。そしてこれ一つしかないち言うんです。私の方の聡子の初羽子板は、久留米の三橋先生がまだ在世中に、そんな訳でもなかったけれども、私があの喜びますから、羽子板をこれはあのまさよの時のと言うから、もう何十年になるのノーや。まさよさんは幾つの三十幾つじゃろう。三十何年間もうそれこそ、また今年もまた出すに違いはありませんけれどもね。
 もうそれこそ人形が生きとるです。やはり名人が作って名人が書いとりますからね。それで私の方へ全然買いませんでしたです。あの三橋先生がそん時持って来てくれとったのを使いました。今でもそれをあの聡子の場合は使いました。とにかくあの昨日そんな訳ですから、もう売れんからと言うのですから、もうそん代わり値段も一万円も負けました。三万円ち言うのを一万円にしました。そらもうそらもう見事なあの羽子板です。問題はね、あの人形が死んでると言う事ですよ。
 どんなに大きなケースに入ってこうしとったっちゃ、もう死んだつではね、値打ちはないです。はい。どこがその生きとるかというと結局目ですね。人形が生き生きとしておるというのは目です。信心でも同じです。生き生きとした人の信心をしとる人の目は、目が違います輝きが違います。例えば今修行生、昨日からまた昨日うちが五人、それから学院のほうから五名ですか。今沢山あの修行させて頂く事になりますけれども。もう一週間でもう修行する帰るころには、もうそれこそ目が輝いて来ますですね。
 結局生きた信心と言う事は、やはりそのそれこそ、目を輝かしてという様な内容が出来なければ、生きた信心とは言えません。お互いの信心が本当にこの生き生きとしておらなければ。確かにあの人形だけではありません。人間もやはり生き生きとして目が輝いてくる。いわゆる心が生き生きとして瑞々しゅう神様へ向う。そういう時には例えば眠いとかしるしいとかというものはないです。折角お参りをさせて頂く。折角信心の稽古をさせて頂くのですから、ひとつ生きた信心を頂きたい。
 生きたお参りをさせて貰うて、いうなら値打ちのある信心をさせて頂きたい。私は昨日帰りに椛目によらせて貰って、それを改めて出して改めてまぁ見せて頂いたんですけれども。これならばいうならば何十年たったっちゃ大事にするだろう。その大事にして鑑賞するがたの値打ちのあるこれは羽子板なんです。と言うてね。そしてそのういわゆる三橋先生がもう二十年も前に、しかも長女の羽子板を二、三枚持って来てました。外のは虫がついて駄目になったけど、一つだけ立派にしておるのがありますが。
 もうとにかく人形が生きてる。だから何時何時までも、ほんならただ娘の例えば、と言うだけではなくて、あの鑑賞用に値する様なあのう人形であり、いわば羽子板です私共の信心もね。どうしてもそのそういう値打ちのある羽子板でなからにゃいけん。それはやっぱり今ちょっとケースに入ってから、こうしたって三万、五万、十万します。けれども幾ら大きくてから綺麗にしてあっても、死んどるとじゃもう値打ちがないです。
 ただほんならその娘が正月に飾るだけであって、何時までもそれを見て楽しませて貰うと言った様なものが一つもない。信心もねやはり値打ちのある信心。それは私は生き生きとした生きた信心だと思うですね。もう本当にあの痛いでも痒いでも、本当に痛い痒いを感じる信心。生きた信心を目指さなきゃいけません。果たして私共が信心を頂く者の姿勢。いうなら特に目が輝いておるだろうか。ひとつ生きた信心を目指させてもらわにゃいけません。
   どうぞ。